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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2251号 判決

控訴人(被申請人) 東京流機製造株式会社

被控訴人(申請人) 黒坂恒男 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの申請を却下する。申請費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人ら代理人らは、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び疏明関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  被控訴人らの主張

(一)  不当労働行為に関する主張の補正

控訴人が、懲戒解雇事由として挙げる職場離脱とは、被控訴人黒坂については別表(一)、被控訴人鈴木については別表(二)の各実施年月日欄記載の日における同時間欄記載の時間のそれを指すが、そのうち被控訴人鈴木にかかる昭和五〇年一月二〇日及び二二日の職場離脱を除いては、すべて支部(総評全国金属労働組合神奈川地方本部東京流機支部)委員会の決定に従つて指名ストライキに参加したものである。右各ストライキは、前記各別表のストライキ権欄記載の日に同欄記載の目的をもつて確立され、通告年月日欄記載の日に控訴人に通告されたストライキ権に基づいてなされたものであり、なんら違法ではない。また、控訴人らと同様ストライキに参加した者が、別表(三)のとおり他にもあるのに、被控訴人両名のみが懲戒解雇されるのは明らかに被控訴人両名を他と差別して不利益に待遇したものである。被控訴人鈴木の昭和五〇年一月二〇日及び二二日の職場離脱は、控訴人が同月一八日突然第一次合理化案を提示したことに対応するため、上部機関である神奈川地方本部の指導を仰ぐ必要上、二〇日の場合には控訴会社山本課長の承諾を得、二二日の場合には控訴会社に電話して承諾を得たうえでしたものであるから、なんら責められるべきものではない。他方、控訴人は、昭和四九年七月ころ以来支部において同様のストライキが実施されてきたのに、昭和五一年二月二七日までは右ストライキを違法であると警告を発したことはなく、したがつて右ストライキをなんら違法視していなかつたこと、控訴人は昭和四九年暮に経営危機に陥り、昭和五〇年一月に第一次合理化案を支部に提示して以来、組合担当の役員及び顧問を外部から導入し、団体交渉をいたずらに拒否したり、組合のビラ、立看板を一方的に撤去したり、組合活動家の食堂等会社施設利用を制限したりして、組合対策を著しく強化したこと、前記のように控訴人が違法ストの警告を発した昭和五一年二月二七日は、支部が控訴人の団体交渉拒否等につき神奈川県地方労働委員会に救済命令の申立をした同年同月一二日から間もない時期であり、また、被控訴人らが解雇された同年五月二六日は、右救済命令申立事件について右委員会が審問を終了し、救済命令が発せられる直前であつたことに照らすと、控訴人は被控訴人らの正当にして活発な組合活動を嫌忌し、同人らを排除して組合に打撃を与える目的で、被控訴人らに対して懲戒解雇を通告したものであつて、これが不当労働行為にあたることは明らかである。

(二)  解雇権濫用の主張の補正

被控訴人による指名ストは、控訴人らの正常な業務の運営を阻害する程のものではなく、また、控訴人もみずから右事実を認めているのにもかかわらず、右指名ストを理由として被控訴人らを極刑ともいうべき懲戒解雇に処したことは、解雇権の濫用にあたるというべきである。

(三)  請求原因の追加

(懲戒解雇手続の就業規則違反)

控訴会社では、昭和三四年四月一日から施行された就業規則が改訂されて、昭和五〇年一〇月一日から施行されたが、従前の就業規則には、懲戒事由として第五〇条に一四の事項が列挙され、第五二条には、「会社は………懲戒に処する必要ありと認めた場合、従業員代表との間に諮問機関を設け、当該機関を通じて決定する。」旨規定されていたのに、改訂された就業規則は、第八八条に二七の懲戒解雇事由が列挙され、右諮問機関についての定めが消滅している。ところで、被控訴人鈴木の懲戒事由とされている指名ストライキ参加三六回のうち二八回、被控訴人黒坂についても一九回のうち三回が、従前の就業規則施行中のものであるから、控訴人がこれらを理由に被控訴人らを懲戒解雇するには、従前の就業規則第五二条所定の諮問機関を設け、当該機関を通じて懲戒の決定をすべきである。けだし、従前の就業規則第五二条は、懲戒解雇という最も重大な労働条件にかかわるものであつて、労働条件の基準を定めたものであり、使用者たる控訴人の一方的な改訂によつて、被控訴人らの既得の権利を奪うことは許されないからである。仮に右のようにいえないとしても、法律不遡及の原則の精神からいつても、労使関係における信義則からいつても、従前の就業規則施行中の行為についてはその規則を適用すべきである。ところが、控訴人は右諮問機関を通ずることなく、被控訴人らに対して懲戒解雇の通告をしたのであるから、本件懲戒解雇は無効である。

(四)  違法ストライキの主張に対する答弁

被控訴人らが行つた指名ストライキを違法とする控訴人の主張を争う。

二  控訴人の主張

(一)  不当労働行為の主張に対する答弁

控訴人の被控訴人らに対する懲戒解雇の事由が、被控訴人ら主張の職場離脱であり、右職場離脱の理由とするところも被控訴人ら主張のとおりであることを認めるが、被控訴人鈴木が控訴人側の承諾を得たとする点は否認し、職場離脱が正当な組合活動であるとの主張は争う。被控訴人ら主張のストライキが違法であることは、次に主張するとおりである。

(二)  ストライキの違法性

被控訴人らが職場離脱の理由とした指名ストライキは、以下に述べるとおり違法であり、ひいて被控訴人らがストライキの名目で職場を離脱し、又は他の者を離脱させたことは、正当の争議行為ではなく、就業規則所定の懲戒事由に該当する。したがつて、控訴人の本件懲戒解雇は適法有効である。

被控訴人黒坂が参加した昭和五〇年九月一一日から昭和五一年二月二三日までの一二回にわたるストライキは被控訴人らによれば、昭和五〇年一月二五日に不当合理化反対権利擁護を目的として確立されたストライキ権に基づくというのであるが、控訴人の合理化問題は昭和五〇年八月ころをもつて落着したのであつて、右ストライキ当時、なんらそれを実施しなければならない事情にはなかつた。昭和五一年四月二〇日から同年五月二一日までの七回のストライキも、被控訴人らによれば、昭和五一年三月二二日に、不当労働行為撤回地労委全面勝利に関して確立されたストライキ権に基づくというのであるから、控訴人の管理処分しうる範囲外の事項をストライキの目的としたこと自明である。右のとおり、被控訴人黒坂の参加した指名ストライキは、いずれもその正当目的を欠くものであり、その通告書に記載された目的も、組合用務とするもの一〇回、不当労働行為撤回抗議とするもの二回、単なる抗議とするもの一回、目的不明のものが二回ある。そして、ストライキ参加の名目で職場を離脱した人員数も、被控訴人黒坂単独の場合が七回、同被控訴人ほか一名の場合が三回、同二名の場合が六回、その他が三回という小人数であるばかりでなく、右の者らは、すべてストライキに名を藉りてその実ストライキとは直接関係のない組合の用務に従事し、もつて職場を離脱したのである。

次に被控訴人鈴木についていえば、昭和四九年一一月一八日から同年一二月一〇日までの間に参加した四回のストライキは、被控訴人らによれば、昭和四九年一一月一一日に冬季一時金要求のために確立されたストライキ権に基づくというのであるが、右ストライキ実施当時、団体交渉が行詰つた状態にはなく、労使間の争議状態は存在しなかつた(なお、このときの一時金の協定は、同年一二月一七日に締結された。)。昭和五〇年一月二七日から同年七月二一日までの二二回にわたるストライキは、被控訴人らによれば、昭和五〇年一月二五日に不当合理化反対、権利擁護を目的として確立されたストライキ権をその根拠とするものであるが、控訴人は合理化案提案後、組合と相当頻繁に団体交渉を行ない、その間、組合との交渉が行詰まりそうなときは、提案を撤回するなどして、収拾して来たし、特に昭和五〇年四月二八日、一時帰休を協定した後は、合理化に対する労使間の対立は全くなかつた。それゆえ、昭和五〇年五月六日から同年七月二一日までの七回については、ストライキ目的を欠くものであつた。また、同年一二月八日のストライキは、被控訴人らによれば、同年一〇月三〇日冬季一時金の要求のために確立したストライキ権に基づくというのであるが、ストライキ通告書に記載されたストライキ目的は、組合用務であり、その実態も日本インガーソル社に押掛けたというものである。昭和五一年三月二三日から同年五月八日までの七回にわたるストライキは、被控訴人黒坂の昭和五一年四月二〇日から同年五月二一日までのストライキと全く同じ事情にある。結局、被控訴人鈴木が参加したストライキも、すべてストライキとしての正当目的を欠くものであつた。このことは、右各ストライキの通告書に記載されたストライキの目的が組合用務となつているもの一三回、不当労働行為撤回要求抗議となつているもの四回のほかに、目的不明のものが一九回もあることからみても、またストライキ参加者が、被控訴人鈴木単独の場合一九回、同被控訴人ほか一名の場合六回、同二名の場合二回、同三名ないし一一名の場合九回であり、職場離脱中、ストライキと関係のない組合用務に従事していたことからみても、明らかである。

このように、被控訴人らのいうストライキが実施された当時、支部と控訴人との間に争議状態は存在しなかつたし、また、支部は労使の交渉を尽さないで安易にストライキ権を確立し、被訴人らはストライキ権確立を奇貨として、各自単独で又はせいぜい二、三名でストライキと称して職場を離脱した場合が多く、この程度では集団的労務提供拒否の実体を欠くものであつて、一部で業務に支障を来したものの、正常な業務の運営を阻害する程のものではなかつたのである。すなわち、被控訴人らのいうストライキは、争議行為をもつて目すべき実体を備えず、単に、参加者を組合活動に従事させることを目的とするものであつた点において、目的の正当性を欠き、また支部がストライキを行うに当つては、少くとも二四時間以前に目的を示して控訴人に通告するという確立された労務慣行に反して抜打的に行われた点において、手段の正当性を欠くものであつたというべきであるが、仮にこれらの点を措くとしても、なんら労使交渉が行われていない段階や、交渉が決裂する可能性もないときに行なつたものであつて、ストライキ権の濫用というほかないものである。したがつて、被控訴人らのストライキは、いずれの点からみても違法であるから、被控訴人らが自ら職場を離脱し、又は他の者をして離脱させたことは、就業規則に反し、なんら免責事由を有するものではない。

なお、被控訴人鈴木の昭和五〇年一月二〇日及び二二日の職場離脱は、被控訴人らによれば、組合用務のためというのであるから、それが職場離脱を正当化するものでないことは論をまたない。

控訴人としては、被控訴人らによる一連の指名ストについて疑問を抱きながらも、労働法関係の知識に乏しかつたこと、労使関係がそれほど紛糾していたわけでもなかつたことから、特に問題としないままに経過し、会社経営が危機に直面し、一時帰休希望退職者募集などの打開策が打出されるのに対抗して、組合側のビラ貼り、集会、指名スト等が頻繁に行なわれるに及んで、識者の意見を聞き、はじめて右指名ストが違法であることを知つたものであつて、右指名ストに対する警告、本件懲戒解雇の時期が被控訴人ら主張の救済命令申立事件の審理の時期と重なつたことは、全く偶然のことにすぎない。

(三)  就業規則違反の主張に対する答弁

控訴会社の就業規則が被控訴人ら主張のとおり改訂施行されたこと、改訂前後の懲戒解雇に関する定めが、被控訴人ら主張のとおりであることは認めるが、その余の主張については争う。

三  疏明関係〈省略〉

理由

一  控訴人が被控訴人ら主張のとおりの株式会社であること、被控訴人らがその主張のとおり控訴人に雇われて稼働して来たこと、被控訴人らがそれぞれその主張のとおり支部の執行委員長の地位にあつたこと、もしくは現にその地位にあること、控訴人が昭和五一年五月二六日被控訴人両名に対し、それぞれ懲戒解雇する旨意思表示をしたこと、その理由は、被控訴人黒坂については昭和五〇年九月一一日から同五一年五月二一日までの間、被控訴人鈴木については昭和四九年二月一八日から同五一年五月八日までの間、無断で職場を離脱し、また他の者をして離脱させたことにあること、控訴人と支部との間には、昭和五〇年二月二八日合意された本件協定があり、その文言は、「会社(控訴人)がその責任において行う組合員の配転、出向、帰休、希望退職、退職勧告、解雇及び工場閉鎖、会社解散等、労働条件の変更をする場合は、事前に組合と充分協議する。」というものであるが、控訴人が被控訴人らに対して、本件懲戒解雇の意思表示をするについて、右協定に基づく事前協議を経ていないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  被控訴人らは、控訴人が被控訴人らに対してした本件解雇の意思表示が、本件協定に基づく事前協議を経ていないから、右協定違反として、手続的に無効であると主張するので、この点について判断する。

いずれも成立につき争いのない疏甲第一五三号証、疏乙第四三ないし五三、五五ないし五七、六一号証、被控訴人鈴木孝之本人尋問の結果(原審及び当審)により真正に成立したと認める疏甲第五一号証、原審における控訴会社代表者本人尋問の結果及び当審証人辻好三の証言により真正に成立したと認める疏乙第四二号証、第五八ないし六〇号証、右各証言及び尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は、昭和四八年暮ころからいわゆる石油シヨツクに伴つて経営状態が悪化し、その後も主力製品であるクローラードリルの販売数が減少して在庫数が適正な範囲を越え、やがては毎月の資金繰りにも事欠くほど深刻な経営危機に陥つたこと、控訴人は、その建て直しを図り、昭和五〇年一月中旬減産を目的とする従業員の一時帰休や、管理職の賃金減額などを中心とする合理化計画を樹て、同月一八日支部に対して協力を求めると共に、同月二一日には一時帰休者の氏名及びその帰休期間と帰休割合とを通告したこと、そこで支部は同日直ちに控訴人に対し、「会社が会社の責任においてなす従業員の解雇、希望退職、配転、出向、帰休、工場閉鎖、会社解散(更生法、商法、整理、破産を含む)等、労働条件の変更を伴う行為をなす場合は、事前に組合と協議し、組合の同意を得なければならない。」との協定案を提示してその締結を要求したこと、控訴人と支部との間で右協定案をめぐつて同年一月下旬から二月中旬にわたり数回の団体交渉が開かれたが、控訴人は、組合との事前の協議ならば格別、組合の同意を求める提案は到底受け容れられないとし、また、その対象は「従業員」ではなく「組合員」に限定されるべきであるとして、この点における支部の主張と対立し、交渉は難航したこと、しかし控訴人の経営危機は深刻で、製品在庫数の過剰のため従業員の就労を一時停止して減産しなければならない程緊迫した様相を呈したことから、支部としてもとりあず控訴人の言い分に妥協して協定を成立させることとし、同年二月二八日控訴人に対してその意向を通知した結果、控訴人の意向に沿つて修正された本件協定が成立したこと(なおその調印は三月一日にされた。)、以上の諸事実を一応認めることができる。

右認定事実によれば、本件協定は控訴人の経営危機を理由とする従業員の一時帰休など合理化の実施を目前に控えて、組合員の地位に危惧の念を抱いた支部の要請により交渉の末、締結されたものであつて、支部も控訴人も、その適用対象としては、多数の従業員を包摂する、いわゆる合理化の実施の場合を想定したものであることは極めて明白である。そのうえ、協定文には「会社がその責任に於て行う組合員の配転、出向、帰休、希望退職、退職勧告解雇及び工場閉鎖、会社解散等労働条件の変更をする場合」とあり、そこには、会社以外の者の責に帰すべき事由に基づいてなされるものは含まれていない(希望退職というのは、会社の要請に応じて任意退職することの意であり、退職者の募集と読み替えても差し支えない。)から、右に掲げられた解雇も控訴人の責に帰すべき事情に基づいてなす解雇等の趣旨に解するほかはない。右に指摘した本件協定締結の際の当事者の意識及び本件協定文言の客観的意義のほか、前認定の本件協定成立の事情に鑑みれば、右協定は合理化実施の場合のみに限定すべきではないとしても、控訴人側の事情で組合員に身分上の変更又は労働条件の変更を伴う人事的措置を行う際に適用されるべきものであつて、個々の従業員の就業規則所定懲戒事由に該当する有責行為に基づいて懲戒処分をする場合には、その適用がないと解するのが相当である。被控訴人らは、協定中に挙示された解雇には懲戒解雇をも含むと主張するけれども、右主張は、前認定の本件協定成立の経緯にそわないし(当審における被控訴人鈴木本人尋問の結果中には、協定の交渉中、懲戒処分のことは念頭になかつた旨の供述もある。)、また、成立に争いのない疏甲第一五〇号証によれば、その当時の控訴人の就業規則には懲戒の種類として懲戒解雇のほか、格下げ、出勤停止、昇給停止、減給、譴責が定められていたことが一応認められるのに、懲戒解雇のみが通常解雇と共に「解雇」として協定中に採り入れられ、他の懲戒については協定に採り入れなかつたとするには納得し難いものがある。原審及び当審における被控訴人鈴木本人尋問の結果中、前記被控訴人らの主張にそうような供述部分は右説示に照して採用することができない。

そうとすれば、控訴人が被控訴人らに対する懲戒解雇の意思表示をするに先立つて、これにつき支部との協議を経なかつたからといつて、右意思表示を無効としなければならない筋合はないというべきである。この点の被控訴人らの主張は理由がなく採用することができない。

三  次に、控訴人が本件懲戒解雇の事由とする被控訴人らの職場離脱とは、被控訴人黒坂については別表(一)、被控訴人鈴木については別表(二)、の各実施年月日欄記載の日に、同時間欄記載の時間、支部の行なつた指名時限ストライキに参加したことによる(但し、被控訴人鈴木の昭和五〇年一月二〇日及び二二日については組合用務のための)職場離脱を指すことは、当事者間に争いがない。

控訴人は、右各ストライキは正当目的を欠くか又はストライキ権の濫用であつて違法であり、したがつてこれを理由に職場離脱したことは懲戒事由に当ると主張するのに対し、被控訴人らは右主張を争うと共に、本件懲戒解雇が不当労働行為か又は解雇権の濫用に当ると主張する。そこで、以下右主張の当否につき判断する。

前掲各証拠及び成立につき争いのない疏甲第四、一〇、一一、一六、一八ないし二〇、二五ないし二九、三二ないし三四、三六ないし四六、四八ないし七八、八一ないし八四、八六ないし九七、九九ないし一一五、一一七ないし一二二、一二四、一二六ないし一三二、一三四ないし一四七、一五六ないし一五八、一六〇ないし一六二、一六五、一七六、一八四、一八七ないし一八九、一九三ないし一九五、一九七、一九九、二〇七、二一〇、二一二、二一三、二一七、二三四、二三七、二三八、二四〇、二四五、二四八、二四九、二六三、二六四、二六七、二七一、二七三、二七七ないし二七九、二八二、二八四、二八五、二八七、二九一、二九二、二九四、三〇八号証、疏乙第二ないし四一、四三号証、同第六五号証の一ないし五、原本の存在とその成立に争いのない甲第一七八ないし一八二号証、前掲被控訴人鈴木本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第七、一五、三〇五、三〇六号証、当審(第一回)における被控訴人黒坂本人尋問の結果により真正に成立したと認める疏甲第一五五、一八三号証、その方式趣旨から真正に成立したと認められる疎甲第八、一六六、一八五、一八六、一九〇、一九一、一九八、二〇四ないし二〇六、二一一、二一四、二一五、二一八、二二〇ないし二二四、二二六、二三五、二四二、二四三、二四七、二五一、二五九、二六二、二六八、二七二、二八三、二八六、二八八、二九三、二九五ないし二九八、三〇〇、三〇四号証、その方式及び趣旨から原本の存在及び成立が認められる疎甲第一七七号証、当審における証人山本英敬の証言及び被控訴人黒坂本人(第一、二回)尋問の結果を総合すると、以下(一)ないし(五)の事実を一応認めることができ、この認定を動かすに足りる証拠はない。

(一)  被控訴人鈴木の昭和四九年一一月一八日から同年一二月一〇日までの別表(二)1ないし4の四回にわたる職場離脱について

控訴人は、昭和四九年一一月一日、支部から同年度の年末一時金(賞与)の支給等に関する要求の申入を受けたが、折柄の経営危機のため、支給の目途が立たないことを理由に、団体交渉に応じないので、支部は強い不満を抱き、同月一一日右要求実現を目的とするストライキ権の確立(同盟罷業をすべきことの決定とその具体的実行についての執行委員会への委任)をしたうえ、同日控訴人と交渉をしたが、具体的回答が得られなかつた(なお、ストライキ権の確立については、同月一四日付書面によつて控訴人に通告された。)。その後同月二二日までの四回にわたる団体交渉においても、控訴人が回答を留保したため、支部では同月二六日午後一時から三〇分間、翌二七日の団体交渉を控えての組合員全員による時限ストライキを実行し、二七日の団体交渉で控訴人から示された年末一時金の金額が低額であつたため、更に同月二九日午後一時以降四時三〇分までの組合員全員による時限ストライキを行ない、また同年一二月三日以降無期限の午前八時三〇分から一〇分間の時限ストライキに入つた。そして、ようやく同月一七日に至つて交渉が妥結し協定書の調印に至つた。その間にあつて、支部は控訴人に対し、昭和四九年一一月二〇日付をもつて、被控訴人鈴木を含めた四名の者が同月一八日午後一時から一時三〇分までストライキを行なつた旨事後通告し、また同月二六日付通告書をもつて、同被控訴人を含めて八名の者が同日午後一時三〇分から二時まで組合用務のためストライキを行なう旨、同年一二月三日付通告書をもつて、同被控訴人一名が同日午後一時から四時三〇分まで組合用務のためストライキを行なう旨、同月一〇日付通告書をもつて、同被控訴人一名が同日午後一時から四時三〇分まで指名ストライキを行なう旨を通告し、いずれもそのとおりの指名ストライキを実施した。しかして、被控訴人鈴木の右四回にわたるストライキ参加による職場離脱は、いずれも支部執行委員会の指名に従つたものである。

(二)  被控訴人鈴木の昭和五〇年一月二〇日及び二二日の別表(二)5及び6の二回の職場離脱について

被控訴人鈴木は昭和五〇年一月二〇日午前九時三〇分から午後四時三〇分まで及び同年同月二二日午後一時から一時三〇分までの二回にわたり職場離脱をしたが、そのうち前者については、支部から控訴人宛に、同被控訴人と中島昭夫を組合用務のため外出させることを通知する旨の同日付通知書が、また、後者については、支部から控訴人宛に、同被控訴人を含む八名の者をして右日時に会議を行なわせる旨の同日付通知書が、それぞれ届けられ、控訴会社山本英敬課長がこれを異議なく受領した。被控訴人鈴木としては、それに先立つ同月一八日、控訴人から支部に対し合理化案が提示され、その当時支部執行委員長として右合理化案に対処する策を講ずるのに奔走していたため、前示のとおり職場を離脱したものである。

(三)  被控訴人鈴木の昭和五〇年一月二七日から同年一二月八日までの別表(二)7ないし29の二三回にわたる職場離脱、及び被控訴人黒坂の同年九月一一日から同五一年二月二三日までの別表(一)1ないし12の一二回にわたる職場離脱について

前示のように、昭和四八年暮ころから経営危機に陥つた控訴人は、その建て直しのため従業員の一時帰休を実施することとして、昭和五〇年一月二一日支部に対し、一時帰休者の氏名とその実施期間、及び帰休割合を示して、その実施を通告したが、更に、同月二五日には、合理化の一環として従業員の配置転換をするため、対象者に対し辞令書の交付を行なつた。一方、支部は、同月二一日控訴人から合理化実施の通知を受けるや、翌二二日控訴人との間で、合理化計画の実施に当つては支部の同意を要する旨の協定を求めて団体交渉をしたのを始めとして、上部機関である神奈川地方本部の指導により、合理化反対、権利擁護のためのストライキ権の確立を図り、同月二五日支部大会を開催して、ストライキを行なう旨及びその具体的時期、方法を執行委員会に委ねる旨の決議をし、即日ストライキ権の確立について控訴人に通告したほか、同月二七日控訴人に対し、控訴人側がすでに同年二月一日に行なうことを予定していた配置転換発令及び一時帰休実施通告の各撤回を申し入れると共に、同日、引続いて団体交渉が行なわれた。控訴人は、合理化計画実施について支部の要求する同意約款の締結については拒否しつつも、先に通告した一時帰休を含む合理化計画の実施を一時中止することとし、同月二九日その旨を支部に通知した。その後も、控訴人と支部との間に団体交渉が重ねられ、同年二月二八日前示のとおり事前協議についての合意(本件協定)が成立し、翌三月一日協定書への調印が行われた。控訴人は、右協定が成立したので、一時中止していた合理化計画を実施に移すこととし、希望退職者の募集、課長職以上の賃金削減、従業員の昇給停止等、実施要領を記載した同月四日付の書面を従業員に配布してその告知をしたうえ、同月八日希望退職者の募集に応ずる意思の有無を調査した。丁度そのころ、労働界においては、昭和五〇年度のいわゆる春季闘争の時期に当つており、支部は、同月四日控訴人に対し賃金引上要求の申入をしたところであつたので、控訴人の合理化計画実施から組合員の権利を擁護することと春季賃上要求とを目的として、控訴人に対して団体交渉をしばしば要求し、他方において活発に広報活動を行つた。そして、控訴人が従業員個々に接して退職希望の有無又は配転に応ずる意思の有無を直接確かめていることについては、事前協議協定に反するとして強く反発し、それに抗議する意味で同月一八日午後一時から二時まで全組合員による時限ストライキを決行した。控訴人は、右同日開かれた団体交渉において、経営危機を楯に、賃上要求に応じかねる旨を回答し、従業員各個の意思確認行為に対する支部の抗議に対しては、本人の意思確認後、発令前に支部と協議すれば足り、協定違反ではないとの見解を示し、支部との間で鋭く意見が対立した。このように、賃金引上についても、また合理化策の進め方についても、労使間に妥協点を見出すことができないまま、団体交渉が繰り返されているうちに、同年四月一四日、控訴人から支部に対し、更に合理化策として、同月二四日以降約二か月にわたり、一週間に三日の帰休日を設定して実施することが通告された。支部は、事前になんら協議をすることなく、右通告をしてきた控訴人に強い不満を抱き、その実現に強硬に反対したため、右一時帰休は同年五月一日以降に延期された。このような経過を辿りつつ、なおも支部の要求による団体交渉が繰り返されて、ようやく昭和五〇年一〇月六日に至り、賃金引上交渉が妥結し、協定書の調印を終えた。しかし、附帯交渉事項として、昭和四九年度冬季一時金要求のとき以来懸案となつていた就労時間短縮(週休二日制)については、又もや継続審議となつた。そこで支部は、右問題に、合理化問題をも含めた事項について闘争を継続することとし、引続き団体交渉を申し入れ(なお、同年九月に支部役員の改選があつたので、支部は同年一〇月一四日書面をもつて控訴人に対し、先に確立されたストライキ権の行使を続行する旨を通告した。)、同月二〇日控訴人と交渉したが、その席で、控訴人から時間短縮問題については、委員会を設置して審議決定をすることが提案された。これについて支部は反対し、団体交渉の場で検討すべきことを主張し、その後も団体交渉を申し入れ、交渉の場は設定されたものの、右意見の対立で空転するのみであつた。

ところで、支部は、同年一〇月三〇日控訴人に対し、同年度の年末一時金(賞与)支給について申し入れると共に、これについてのストライキ権の確立を通告し、同年一一月六日、同月一八日、同月二二日同年一二月一日、それぞれ控訴人との団体交渉をし、翌二日午後三時以降三〇分間、同月五日午後三時以降三〇分間、の各組合員全員による時限ストライキを行ない、また、同年一二月三日以降は組合員全員の時間外労働拒否をするなどの争議行為を経て、同月一八日、年末一時金(賞与)についての協議が成立した。しかし、時間短縮問題については、妥結に至らず、支部から控訴人に対し、翌一九日及び二四日と二度にわたる団体交渉の申入があつたが実現しないまま新年を迎え、ようやく昭和五一年一月二八日にいたつて、団体交渉が開かれた。その席上、控訴人から、毎月第一、第三土曜日を休日とする隔週五日制その他の提案をし、支部の協力を求める旨の要請があつた。しかし、同案は、休日数が増加し、年間を通じての労働時間数は若干短縮されるものの、一日の実働時間を二〇分間延長するものであつたので、支部は団体交渉を継続して右案の検討をすることの申入をした。これに対して控訴人は、支部が一日の労働時間をこれまでどおり据置くことに固執する限り検討の余地はなく、控訴人としては、右案を同年五月実施に移す予定である旨を回答し、実質的に支部の申出を拒否した。控訴人の強硬な態度から、控訴人が支部の意向を無視して右案どおりに実行する意図のあることを察した支部は、この問題について控訴人が団体交渉を拒否しているとし(後示の控訴人による支部の活動規制をも含めて)、不当労働行為に当ると主張して、同年二月一二日神奈川県地方労働委員会に対し、控訴人を相手方として団体交渉に応ずべき旨(及びその他の)命令を求める不当労働行為救済申立をした。右申立後も、支部は団体交渉を申し入れ、同月一四日両者話し合つたけれども、進展しなかつたので、支部は同年三月一九日臨時大会を開催し、控訴人が時間短縮問題について団体交渉を再開することの実現を目的としてストライキ権を確立し、その旨を同月二二日控訴人に通告した。なお控訴人は、支部が不当労働行為救済申立をした後、八日を経た同年二月二〇日支部に対し、昭和三八年六月二二日の支部の依頼に応じて約一二年間にわたり行なわれてきた組合費の給料天引を、同年五月分以降行なわない旨を通告し、以後天引を中止した。

上述のとおり、控訴人と支部との間には、控訴人が昭和五〇年一月二一日に合理化実施を通告して以来、同問題及び時間短縮(週休二日制)問題が懸案事項とされ、支部は昭和五〇年四月二五日のストライキ権確立を背景にして、春季賃上要求や年末一時金(賞与)要求をも加えながら、断続的に控訴人と団体交渉を繰返して来たが、その間にあつて支部は前出のストライキ権確立を根拠に、別表(二)7ないし29の二三回、及び別表(一)1ないし12の一二回の各指名時限ストライキを行なつてきたものである。そして、右各ストライキを行なうについて、支部は、当日又は期日前に、控訴人に対してその旨を書面で通告したが、別表(二)7、14、20、21、28、29及び別表(一)1ないし3、5ないし11の各ストライキの通告書には、「組合用務のため」ストライキを行う旨記載され、また、ストライキに参加すべきことを指名された者は、別表(二)15記載の場合が被控訴人鈴木ほか九名、同9、12の場合が同被控訴人ほか七名、同10の場合が同被控訴人ほか六名、同29の場合が同被控訴人ほか四名、同17の場合が同被控訴人ほか二名、同7、8、19の場合が同被控訴人ほか一名で他の一三回はすべて被控訴人鈴木一名だけであり、また別表(一)5の場合は被控訴人黒坂ほか四名、同3、4、6、8の場合が同被控訴人ほか二名、同7の場合が同被控訴人ほか一名、他の五回はすべて被控訴人黒坂一名だけである。被控訴人らは右各指名に基づいて各当該ストライキに参加し、職場を離脱したものである。

(四)  被控訴人鈴木の昭和五一年三月二三日から同年五月八日までの別表(二)30ないし36の七回、及び被控訴人黒坂の昭和五一年四月二〇日から同年五月二一日までの別表(一)13ないし19の各職場離脱について

支部は、控訴人が提案した隔週五日制の強行を阻止するため控訴人に対し、時間短縮問題について団体交渉に応ずることを求めて、前示のとおり地方労働委員会に救済申立をしたほか、その実現を目指して昭和五一年三月一九日ストライキ権を確立し、同月二二日控訴人に通告したうえ、同日開かれた昭和五一年度春季賃上要求のための団体交渉において、賃上要求の申入に合せて時間短縮問題につき独自の妥協案を提示したところ、控訴人は同月三一日付書面で右提案を拒否する旨回答した。支部は、折り返し同年四月七日付書面をもつて、先の提案を撤回する旨と新たに団体交渉を求める旨を申し入れたけれども、控訴人はなんら応答せず、また、控訴人は先の団体交渉の席で、賃上要求については四月一〇日に回答する旨予告したのにもかかわらず、同月九日に至り、予告日における回答が不能であることを通報してきた。支部は、その要求に対する控訴人の対応の仕方に不満を抱き、同月一三日昭和五一年度春季賃上要求に関してストライキ権を確立し、即日控訴人に通告したところ、翌一四日の団体交渉で賃上要求に対する回答があつた。しかし、支部の承諾するところとならず、その後も引続き団体交渉が開かれ、賃上問題に合せて時間短縮問題について討議され、五月一九日の交渉を経て賃上問題については妥結したものの、時間短縮問題は依然両者の対立が続いた。このような状況のもとで、支部は昭和五一年三月一九日のストライキ権確立を根拠に同月二三日から同年五月二四日までの間において、別表(一)13ないし19、別表(二)30ないし36(別表(一)16と同(二)34、別表(一)17と同(二)35、別表(一)18と同(二)36は、それぞれ同一のもの)計一〇回の指名ストライキを行つた。右各ストライキについては支部から控訴人に対し、当日又は期日の前に書面をもつて、昭和五一年三月一九日のストライキ権確立に基づく旨を記載して通告されたが、その被指名者は、別表(一)17(別表(二)35と同じ)の場合が被控訴人らほか八名、別表(一)16(別表(二)34と同じ)の場合が被控訴人らほか五名、別表(一)18(別表(二)36と同じ)の場合が被控訴人両名、別表(二)30、33の場合が被控訴人鈴木ほか一名、別表(二)31、32がいずれも被控訴人鈴木のみ、別表(一)14、19の場合が被控訴人黒坂ほか二名、別表(二)13、15の場合が被控訴人黒坂のみである。被控訴人らは右各指名に基づき、各ストライキに参加し、職場を離脱したものである。

(五)  支部の活動に対する控訴人の対応について

控訴人は、土木建設機械の製造を目的とする株式会社であり、特にクローラードリルについては唯一の専門製造業者であつて、その本社事務所及び工場を東京都大田区に置いていたけれども、昭和四九年三月現在地に移転した。ところで、昭和四八年秋のいわゆる石油シヨツクの影響を受けて、控訴人は製品のクローラードリルの販売数が減少し、昭和四九年一二月末には在庫数が平常時の約四倍にも達し、経営が危機に瀕して合理化を余儀なくされる事態に立ち至り、その合理化策をめぐつて支部との間に前記のような長期間にわたる紛争が続くことになつたのである。

支部は、昭和三八年五月ころ控訴人の従業員により東京流機製造労働組合の名称のもとに結成され、昭和四〇年三月二六日の組合臨時大会決議に基づいて、総評全国金属労働組合本部に加盟してその支部となり、その後、昭和四九年三月、控訴人の事務所、工場の移転に伴つて神奈川地方本部に移籍し、その支部となつた。

支部と控訴人の労使関係は、支部の結成以来、これといつた問題もなく経過して来たが、控訴人が経営危機に直面し、合理化を推進する事態となつたことから、支部も組合員の利益擁護を目的とした活発な運動を展開し、控訴人に対し種々要求するようになつて、両者の利害の対立が顕著となり、控訴人は支部の行動に対して従来とは異なり厳しい態度で臨むようになつた。そして控訴人は、すでに昭和四九年度においてもいわゆる春季闘争のさなかにあつた同年五月一七日支部に対し、争議中に会社建物に立ち入ることを禁止する旨及び会社建造物内外に貼り付けたビラを撤去するよう通告し、同年六月二二日には、正午の休憩時間におけるビラ貼り等の組合活動が、疲労回復のための休憩制度の目的に反すると同時に、会社施設の管理権の侵害、建造物損壊に当ることを理由に、その禁止を通告したほか、同様趣旨の警告を数回繰り返し、従来大目に見ていた会社構内における組合活動を規制するようになつた。昭和五〇年一月八日控訴人から支部への合理化実施申入があり、ついで同月二一日前述したとおり、一時帰休が発表され、かつ、いわゆる春季闘争期に入つたのに伴い、支部の活動が活発になつた同年三月、控訴人は労務担当常務取締役に入江春光を就任させ、労務担当顧問として塚田説夫を採用して、同人らに支部との交渉その他組合に関する事項を専管させた。そのころから控訴人は支部に対し、前年の春闘時期におけるよりも強硬な態度で会社建造物に貼付したビラ、会社構内に設置した立看板、会社構内に掲揚した赤旗の各撤去要求、会社施設の無断使用禁止、会社構内におけるビラ配布及び時間内組合活動の禁止等の通告ないし警告を発し、これに違反したビラや立看板、赤旗などを撤去するなどし、これらに対して支部が抗議するという状態が、控訴人の被控訴人らに対する本件懲戒解雇の通告のなされた昭和五一年五月二六日ころまでひんぱんに反覆継続した。右状況の中で、昭和五〇年七月八日控訴人は支部委員長被控訴人鈴木、同副委員長中島昭夫、同書記長松ノ下富雄の三名を、支部が控訴人の拒否にも拘らず、会社の食堂で集会を開いたこと、会社構内に控訴人の名誉を傷つけ、信用を損う事実無根の事柄を記載した立看板を掲示したことを理由に、その責任者として譴責の懲戒処分に付したほか、会社構内でビラを配布した者に対して、同年一〇月二五日(二名)、一二月一五日(七名)、昭和五一年一月二一日(五名)、二月七日(二名)、三月九日(二名)、四月七日(二名)、同月八日(二名)、同月一四日(四名)、同月一七日(一名)、同月二〇日(一名)、同月二二日(一名)、五月一一日(六名)、それぞれ就業規則に反するとして警告を発した。支部の活動に対する控訴人の規制が厳しくなつたので、支部は、前示の時間短縮問題にかかる団体交渉を控訴人が引延していることをも含めて、右活動規制を不当労働行為として、前述のとおり同年二月一二日神奈川地方労働委員会に対し不当労働行為救済申立をした。その後控訴人は支部に対し、前述したように昭和五一年二月二〇日組合費の給与から天引することの中止を通告し、同月二七日になつて前示した昭和五〇年七月二一日以降の「組合用務のため」を目的とする指名ストライキについて、これまで格別異議を述べることがなかつたのに、これを違法である旨警告した。この警告に対し支部は、従来行つてきた指名時限ストライキが正当な行為であるとの見解に立ち、その後も前示のとおり昭和五一年三月一九日確立したストライキ権に基づき指名時限ストライキを続けた(但し、その通告書に「組合用務のため」として通告したものはない。)ところ、前支部委員長の被控訴人鈴木と現支部委員長の被控訴人黒坂に対して本件懲戒解雇の通告がなされた。

四  右認定事実によれば、控訴人が違法ストライキと主張する各指名ストライキの実施された時期には、控訴人と支部との間に懸案事項について団体交渉が行なわれ、これをめぐつて争議状態にあつたということはできるけれども、右各指名ストライキのうち、控訴人が違法ストライキであるとの警告を発した昭和五一年二月二七日以前のそれは、支部にとつて争議を有利に展開させるため、控訴人の業務を阻害し、控訴人に圧力をかけることに直接の目的があつたのではなく、被指名者をしてストライキの名目で職場を離脱させ、支部の用務に従事させることを意図したものであることが推認される。けだし、右各ストライキの被指名者の数は、一名又は二、三名の場合が大部分であり、通告書に「組合用務のため」と記載したものが少なからずあり、前掲疏乙第六五号証の一、二及び当審における被控訴人ら各本人尋問の結果(被控訴人黒坂については第一回)によれば、各被指名者のほとんどが支部役員であり、かつストライキ参加による職場離脱の間、他労組への支援要請、官公署、法律事務所などの訪問等に従事したものであることが認められるなどの諸事実からみて、右各ストライキは、被指名者が組合用務に従事するために職場を離脱する名目を作り出すことに、真の意図があつたと認めるのを相当とするからである。当審における被控訴人鈴木本人尋問の結果も右判断を裏付けるものということができる。このようなストライキは、正当目的を具えたものとはいいがたく、むしろストライキ権を濫用したものといわざるを得ない。

しかしながら、支部は右各ストライキをするについて、その期日、時間、被指名者を明示した通告書を、しかもそのうちの相当数については「組合用務のため」、「会議に出席させるため」等と明記して、その大部分は当日に控訴人に交付していたのであるが、これに対して控訴人は会社施設へのビラ貼り、その無許可利用、会社構内でのビラ配布等については従来支部に対して再三警告を与え、その参加者に対してときに懲戒処分に付しているにもかかわらず、右ストライキの実施については、前示警告を発した昭和五一年二月二七日までは、右通告書を受領するに当り、別段の異議を留め又は警告を発することなく、その実施を静観していたこと前述のとおりであることのほか、前掲疏乙第六五号証の一ないし五によれば、このような指名時限ストライキは昭和四九年一一月以来、別表(一)、(二)挙示のほかにもかなり行なわれてきたことが認められることに照らせば、控訴人は従来被控訴人らがストライキに名を藉りて就業時間中に組合活動をすることについて、これがその参加人数、時間からみて会社の正常な運営を殆んど阻害しなかつたところから、黙示の承諾を与えていたものというべく、しからずとするも、被控訴人らからそう受取られてもやむを得ない事情にあつたということができるから、これを被控訴人らの懲戒処分の事由とすることは著しく当を失したものであり、まして、最も重い処分である懲戒解雇の事由とすることは、明らかに懲戒権の範囲を逸脱したものといわなければならない。控訴人がストライキ通告に対して異議を述べなかつたことが、たとい右ストライキを適法であると誤解したことによるものであつたとしても、右判断に相違を来たすものとはいい難い。

次に、前示警告後に実行された別表(一)13ないし19、同(二)30ないし36の指名時限ストライキについてみるに、これらはいずれも昭和五一年三月一九日確立されたストライキ権に基づくものであり、その目的は、当時控訴人と支部との間において争議の対象となつていた労働時間短縮問題について控訴人が団体交渉に応ずることの要求を実現することにあつたこと前示のとおりである。もつとも前掲疏乙第六五号証の四、五によれば、支部は右ストライキ権確立以来同年五月まで僅か二か月余の間に、別表(一)、(二)記載の一〇回を含めて合計二二回もの頻度をもつて指名時限ストライキを行なつたこと、その被指名者の数は一名又は二、三名の場合が多く、また被指名者はすべて組合役員であると共に、ストライキ参加中は組合用務に従事したことが疏明され、これらの事実に、既に支部は労働時間短縮問題についての団体交渉を求めて労働委員会に対し救済命令の申立をしていた前示の事実をも合せ考えると、右各ストライキもそれ以前の場合と同様、その真の目的は、支部役員がストライキに名を藉りて組合用務を行うため職場を離脱することにあつたのではないかとの疑いがない訳ではない。しかしながら、その当時控訴人は、その提案した第一、第三土曜日休日制を、支部の承諾が得られないまま、同年五月から実施に移すことを表明し、それを阻止するために支部が団体交渉を要求しても応じないという態度を持し、その施行期限が刻々迫つていた時期にあつたこと及び同年五月に入つてからも支部から控訴人に対して抗議が継続してなされていたことに徴すると、そのころ実施した各指名時限ストライキを、正当目的を欠き又はストライキ権の濫用であると断ずるにはいまだ疏明が足りないというほかなく、また前掲疏乙第六五号証の四、五によれば、右各ストライキの通告はその大部分がその当日になされていることが一応認められるが、従前のストライキについて被控訴人主張のとおり事前通告の慣行が存在したことについては疏明がなく、かえつて従前のストライキ通告はその当日なされたものが多かつたこと前述したとおりであるから、その通告方法をもつて右各ストライキを違法とすることはできない。そうすると、昭和五一年三月一九日確立されたストライキ権に基づいて実行した各指名ストライキをもつて違法ストライキであるとする控訴人の主張は理由がないというべきである。

してみれば、別表(一)及び(二)記載の被控訴人らの職場離脱を理由としてなされた本件懲戒解雇は、懲戒権の範囲を逸脱したものというべきであり、前述のとおりの本件懲戒解雇がなされるにいたつた経緯、殊に前記違法ストの警告書の発せられた時期が支部において神奈川県地方労働委員会に対して不当労働行為救済命令の申立をした直後のことであつたこと及び本件懲戒解雇のなされた時期が右救済命令申立事件についての右委員会の審問が終了して同委員会の命令が発せられる直前であつたこと(なお、成立に争いのない疏甲第一七号証によれば、同委員会は同年六月一八日控訴人に対して支部との団体交渉に応ずるべきこと、組合費の給料天引廃止の通知の撤回等を命ずる救済命令を発したことが一応認められる。)に照らせば、本件懲戒解雇は、控訴人が支部の組合活動の中心をなしていた被控訴人らを嫌悪し、同人らを支部から排除して、もつて支部に打撃を与えることを意図してなされたものといわざるを得ない。それゆえ、本件懲戒解雇は不当労働行為にあたるから、無効ということになり、したがつて、その余の判断をまつまでもなく、被控訴人らと控訴人との間には、雇傭関係が存続することに帰する。

五  次に、本件懲戒解雇通告当時における被控訴人らの賃金額及び本件仮処分申請の保全の必要性については、原判決理由の三、賃金債権と保全の必要性の説示(原判決一八枚目裏二行目から一九枚目表初行までのとおりであるから、これを引用する。

六  以上のとおり、被控訴人らの本件仮処分申請は理由があるからこれを認容するのが相当であり、これと結論を同じくする原判決は、結局において相当であるといわなければならない。

よつて、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 森綱郎 新田圭一 真栄田哲)

(別表省略)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

1 申請人両名が被申請人に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2 被申請人は、昭和五一年五月二六日から本案判決確定まで、申請人黒坂に対し一か月金一三万三六七〇円を、申請人鈴木に対し一か月金一六万一四七〇円を、それぞれ毎月二五日かぎり仮に支払え。

3 申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事双方の求める裁判

申請人両名は主文と同旨の判決を、被申請人は「申請人らの申請をすべて却下する。申請費用は申請人らの負担とする。」との判決を、それぞれ求めた。

第二申請人らの主張

一 (当事者)

1 被申請人は、土木・鉱山用建設機械の製造販売を主たる業務とし、肩書地に本社、工場を有する資本金一億二五〇〇万円の株式会社である。

2 申請人黒坂は昭和四四年三月に、申請人鈴木は同年一月に、それぞれ被申請人に雇われ、以来その従業員として稼働してきた。

なお、申請人鈴木は、被申請人の従業員をもつて構成する総評全国金属労働組合神奈川地方本部東京流機支部(以下単に「支部」という。)の執行委員長を昭和四六年度から同五〇年度まで四期に亘つて歴任し、また、申請人黒坂は、申請人鈴木を継いで昭和五〇年九月から現在に至るまで右執行委員長の地位にある。

二 (解雇の意思表示)

被申請人は、申請人両名に対し、昭和五一年五月二六日それぞれ懲戒解雇する旨の意思表示をなした。

その際、申請人両名に交付された各懲戒解雇通告書によれば、右解雇理由は、申請人黒坂は昭和五〇年九月一一日から同五一年五月二一日までの間、申請人鈴木は昭和四九年二月一八日から同五一年五月八日までの間、それぞれ何ら目的を示さず、あるいは組合用務のため等と称して違法なストライトキを行ない、これにより正当な理由がないのに無断で職場を離脱し、さらに、その際他の者をして同様職場を離脱せしめたもので、これらの行為は就業規則八八条二六号、二七号の懲戒解雇事由に該当する、というにある。

三 (解雇の無効)

(一) 事前協議協定違反

1 被申請人は、支部との間に、昭和五〇年二月二八日、「会社がその責任において行う組合員の配転・出向・帰休・希望退職・退職勧告・解雇及び工場閉鎖・会社解散等労働条件の変更をする場合は事前に組合と充分協議する。」旨の協定(以下「本件協定」という。)を締結した。

2 申請人両名は、いずれも支部の組合員であるから、被申請人が申請人両名を解雇するに際しては、本件協定に従い、支部と事前に充分協議をしなければならない。

3 しかるに、被申請人は、事前に支部と充分に協議するどころか、協議の機会をも与えずに、申請人両名に対する本件懲戒解雇を断行するに至つたものであるから、右解雇は本件協定に違反する無効のものというべきである。

4 なお、被申請人は、本件協定中の事前協議の対象たる「解雇」の中には懲戒解雇は含まれない旨主張する。しかし、ただ単に「解雇」と表示されている場合には、あらゆる態様の解雇を示しているのであるから、特に懲戒解雇を除外するときはその旨の限定文言を付加しなければならないところ、本件協定中には右のような除外事由が留保されていないので、その文理解釈上、右「解雇」の中には、当然、懲戒解雇をも含むと解すべきであるし、事実、支部、被申請人いずれも、本件協定を締結する際には、右「解雇」の表現の中にあらゆる解雇を含むものと認識していたのであるから、この点の被申請人の主張は失当である。

のみならず、仮に本件協定にいう「解雇」には懲戒解雇が含まれないとしても、懲戒解雇が本件協定中の事前協議の包括的対象たる「労働条件の変更」に該当することは明らかであるから、いずれにせよ被申請人は、申請人両名を懲戒解雇するに際して事前に支部と協議しなければならなかつたのである。

(二) 不当労働行為

本件懲戒解雇は、上述のとおり事前協議協定違反により手続的に無効であるのみならず、その実質においても、支部を弱体化させ、ひいては壊滅させようとの意図のもとに支部の指導的地位にある申請人両名を企業外に放逐しようとしたものにほかならないから、労働組合法七条所定の不当労働行為に該当し、無効のものである。

(三) 解雇権の濫用

被申請人は、その解雇理由として申請人両名が違法なストライキをなしたと挙示しているが、しかし、右ストライキは違法なものではないから、本件解雇には合理的且つ相当な理由が欠落し、解雇権を濫用したものとして無効である。

四 (申請人両名の賃金)

本件解雇当時における賃金は、申請人黒坂については基本給金一二万一一〇〇円、住宅手当金五〇〇〇円、交通費金七五七〇円の計金一三万三六七〇円であり、申請人鈴木については基本給金一三万九九〇〇円、家族手当金六〇〇〇円、住宅手当金八〇〇〇円、交通費金七五七〇円の計金一六万一四七〇円である。

五 (保全の必要性)

被申請人は、本件解雇の意思表示後、申請人両名をその従業員として取り扱わず、賃金も支払わない。

しかして申請人両名は、従来被申請人から支払を受ける賃金を唯一の生活資金源として生計を維持してきたものであるから、本案判決確定までこれが支払を受けられなければ、回復し難い損害を受けるおそれがある。

第三被申請人の主張

一 (申請人両名の主張に対する答弁)

1 申請人両名主張の一、二及び四項の各事実は認める。

2 同三項の(一)の事実については、その主張のとおり、本件協定が締結されたこと及び申請人両名を懲戒解雇するに際し支部と事前に協議をしなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同三項の(二)、(三)の各事実は否認する。

4 同五項の事実については、被申請人が申請人両名に対し、その解雇の意思表示後従業員として取り扱わず、賃金の支払をしていないことは認めるが、保全の必要性は争う。

仮に、賃金仮払いの必要性が認められるとしても、その金額は解雇当時における申請人両名の賃金額(右両名主張の四項記載のとおり)によるべきではなく、申請人両名の解雇前三か月の平均賃金額(申請人黒坂については金一二万一七二一円、申請人鈴木については金一四万七三一五円)を基準とすべきであるし、また、そのうちから通勤交通費相当額(申請人両名とも一か月金七五七〇円)は控除すべきである。

二 (事前協議協定違反の主張に対する反論)

1 本件協定は、その締結された経緯から明らかなように、被申請人の経営困難打開のための合理化に関する基本方針を協議の対象とする旨定めたものであるから、個別的な問題である本件懲戒解雇については、その適用がないものである。

すなわち、被申請人の経営は、昭和四八年暮のいわゆる石油危機以降急速に悪化し、被申請人は倒産を回避するため種々努力を重ねたが、昭和五〇年一月には営業所の閉鎖、管理職の賃金カツト、従業員の一時帰休や配転などの合理化案を推進することとなり、これを支部に通知してその協力方を要請した。これに対し、支部は、合理化方針の策定についての同意約款の締結を主張するに至り、かくして、右同意約款の締結や一時帰休の実施などをめぐつて同月中に再三に亘り団体交渉が行なわれ、結局、被申請人としては、支部の提案する同意約款の締結は到底承諾できる筋合のものではなかつたので、これを拒否した。ところが、その後同年二月三日の団体交渉において、組合から協議約款案の提示があり、これをめぐつて何回か団体交渉がもたれ、その交渉は難航していたところ、同月二八日午前一一時ごろ、支部の執行委員八名が、突然社長室に乱入し、社長を取り囲んで、被申請人が提案した内容に沿つて協議約款に調印するよう迫る事態となつた。そこで、被申請人は、異常事態の下における調印を拒否し、翌三月一日の団体交渉において正式に調印し、ここに本件協定が成立するに至つたのである。

本件協定は、以上のような背景と交渉経過を経て締結されたもので、所詮、合理化案実施の必要あるいは会社倒産ないしこれに類する事態が発生した場合、その基本方針の樹立について組合と充分協議することを約諾したものであり、つまり、被申請人が当面している合理化の一般的、基本的な基準に関する協議約款であつて、個別的、具体的な問題処理のための協定ではない。したがつて、本件懲戒解雇は本件協定の対象事項には含まれない。

2 仮に、個別的、具体的な事項が本件協定の事前協議の対象に含まれるとしても、すくなくとも懲戒解雇はその対象外である。

すなわち、本件協定の文面を見れば、「配転、出向・帰休」に次いで「希望退職・退職勧告・解雇」を挙げ、「工場閉鎖・会社解散等」と続いているのであり、かかる文脈と上述1のとおりの本件協定の成立過程に照らせば、明らかに本件協定は合理化案の協議を目指しているものであり、しかも、会社合理化のため懲戒解雇を行なうことは事の性質上あり得ないし、現実に行なわれてもいない。したがつて、本件協定の対象に懲戒解雇を含む余地はない。

一般的に言つても、労働協約において解雇が協議の対象とされている場合、当然に懲戒解雇をも含むと解すべきではない。けだし、解雇と懲戒解雇とは全くその本質を異にし、通常厳然と区別して使用されており、被申請人においてもまた、就業規則上、解雇と懲戒解雇とを明確に区別して規定しているのである。したがつて、契約原理の働く通常の解雇についてはともかく、制裁罰である懲戒解雇について事前協議をするのは、事の性質上、特別の取扱いに属するものというべきであるから、単に「解雇」とあるときは、本件の如く懲戒解雇を含まないことが明示されていない場合であつても懲戒解雇は対象外であると解すべきである。

第四疎明関係〈省略〉

理由

一 雇用契約の成立と解雇の意思表示

申請人両名主張の一及び二項の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二 解雇の効力について

(一) 被申請人と支部との間に、昭和五〇年二月二八日、本件協定が締結され、右協定の内容が、「会社がその責任に於て行う組合員の配転・出向・帰休・希望退職・退職勧告・解雇及び工場閉鎖・会社解散等労働条件の変更をする場合は事前に組合と充分協議をする。」というものであること及び被申請人が本件解雇について事前に支部と協議をしなかつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

申請人両名は、本件解雇は、事前協議協定違反により手続的に無効である旨主張するので、以下解雇理由の当否の判断は暫く留保し、本件解雇が、本件協定にいう「解雇」に含まれるか否か、検討を加える。

1 被申請人は、本件協定は、その締結された経緯から明らかなように会社合理化に伴なう一般的、基本的な基準に関するものであるから、個別的、具体的な本件解雇はその対象外である旨主張する。

いずれも、成立に争いのない疎甲第一八ないし第二〇号証、疎乙第四三ないし第五三号証、第五五ないし第五七号証、同第六一号証、申請人鈴木本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一五号証、被申請人代表者本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎乙第五八ないし第六〇号証、申請人鈴木及び被申請人代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、被申請人は、昭和四八年暮頃からいわゆる石油シヨツクに伴つて経営状態が悪化し、その後も主力製品であるクローラードリルの販売が減少して在庫量が適正な範囲を超え、やがては毎月の資金繰りにも事欠くほど深刻な経営危機に陥つたこと、そこで、昭和五〇年一月中旬被申請人は、その建て直しのため、生産の一時中止に伴なう従業員の一時帰休や管理職の賃金カツトなどを中心とする合理化案の推進を決め、支部にもその協力を求めたこと、一方、支部は、かねてより被申請人の経営状況の悪化から、組合員の地位、身分について不安を抱いていたので、右のような一時帰休等の合理化案が提示されたことに対し、かような、労働条件に重大な変更を招来する場合には事前に支部の意見をも反映させなければならないとして、同月二一日被申請人に対し「会社が、会社の責任においてなす従業員の解雇・希望退職・配転・出向・帰休・工場閉鎖・会社解散(更生法・商法・整理・破産法を含む)等、労働条件をともなう行為をなす場合は、事前に組合と協議し、組合の同意を得なければならない。」との内容の協定書案(疎乙第四五号証)を提示し、これが締結方を要求したこと、かくして、右協定書案をめぐつて同年一月下旬から二月中旬に亘り数回の団体交渉が開かれたが、被申請人は協議条項ならば格別、同意を要件とすることは到底認め難いとし、また、その対象は「従業員」ではなく「組合員」に変更されるべきであるとして、この点における支部の主張と対立し、交渉は難航したこと、しかし、同年二月下旬に至つて、被申請人の経営危機およびこれに伴なう社内情勢が従業員の就労を一時停止せざるを得ないほど緊迫した様相を呈してきたことから、支部としても、とりあえず、被申請人の言い分に妥協して、協議約款であつても、その協定を締結することが先決であるとの態度を固め、同月二八日被申請人にその意向を通知し、その結果、被申請人の意向に沿つた本件協定が成立するに至つたこと、しかして、右成立過程においては、協議の対象事項が会社合理化案にともなう一般的、基本的なものに限定するとか、もしくは「解雇」には懲戒解雇は含まれないとかいう明示の合意は存在しなかつたこと、さらに、本件協定成立直後である同年三月中旬頃、被申請人は支部の一組合員である馬場辰己を工員から守衛へ職種換しようと考え、本人にその意向を打診したことがあつたがその際、支部は被申請人に対し、本人の意向を聴取する前に支部と協議すべきである旨抗議したところ、被申請人は、本件協定の趣旨は辞令発令前に支部と協議すれば足り、その時期は当該本人に対する意向打診の前後を問わないとのみ回答して、これが協議の対象外であるとの主張の如きは何らなさなかつたこと、以上の事実が一応認められ、これを覆えすに足りる疎明はない。

右認定事実によれば、なるほど、本件協定は一時帰休などの合理化案の実施を目前に控えて、組合員の地位に危惧を感じていた支部の要請に応じて締結されたものであり、支部、被申請人両者とも、その適用対象としては、多数の従業員を包摂する、いわゆる合理化案に則つたものを想定していたのであろうことは推認するに難くないが、しかしそうであるからといつて、その余の人事的措置はすべてその対象から除外されるべきであるとの認識を有していたものとも認め難く、かえつて、組合員馬場の事例に鑑みても、支部は勿論のこと被申請人としても、その余の措置を含むものと観念していたのではなかつたかと推量される。

かかる双方の認識状況に、合理化案の場合にのみ限定すべき合理的理由は見い出し難いことなどを併せ勘案しながら、本件協定を文理に即して素直に読み取れば、その対象事項は合理化案に伴なうものだけに限定せず、その余をも含むものと解するのが相当である。

してみると、この点における被申請人の主張は採用できない。

2 次に被申請人は、解雇と懲戒解雇はその本質を異にするから、本件協定にいう「解雇」には懲戒解雇は含まれず、したがつて本件解雇はその対象外である旨主張する。

よつて検討するに、解雇とは、雇用契約関係を将来に向つて消滅せしめる使用者の労働者に対する一方的意思表示をいうものであるところ、懲戒解雇もその法的性格を如何に解するにせよ、労働者が就業規則の懲戒解雇事由に該当する所為をなしたとき使用者によつて発動される雇用契約関係を消滅せしめる一方的意思表示であり、講学上、一般的には解雇の一態様として取り扱われている。もつとも、解雇の分類上、懲戒解雇か否かという観点から、懲戒解雇以外の解雇は一般的には普通解雇と称されているが、ときには右普通解雇を単に解雇と呼んでいる場合もあり、したがつて、解雇という表現方法のなかには、懲戒解雇をも含めているときとこれを除外したときとの両様があることとなる。

しかして、被申請人は、本件協定文の「解雇」については後者の使用方法に立脚して解釈されるべきである旨主張するが、懲戒解雇をも含めて使用される場合がかなりある以上、これを限定的に解すべき合理的根拠は見出し難く、かえつて、法概念的には懲戒解雇も解雇の一態様であること、上述1に認定のとおり、本件においては懲戒解雇を除外する旨の合意など限定的解釈を肯認し得るに足る特段の事情の存在は認められないことなどを配慮すれば、本件協定にいう「解雇」には懲戒解雇をも含むと解するのが相当であるといわざるをえない。

のみならず、労働協約の意味について、労使双方に見解の相違があるときは、現今の労使関係の実情に照らし、如何なる解釈をなすのが、当該条項を適正に機能させ、合理的であるかという合目的的見地からも吟味する要があるところ、かかる視座からみても、懲戒解雇を含む解釈はそれなりの根拠を有し、支持されるところというべきである。けだし、懲戒解雇は、当該労働者に対し、その職を失わせるばかりでなく、そのほとんどの場合に退職金債権の喪失をも伴なう最も苛酷な処分であるし、社会現象としても所謂解雇事件のなかにおいて数量的に懲戒解雇が占めている比重はかなりのものであると窺われるから、これが協議の対象とすべき必要性、合理性はそれなりに肯認せられるのに対し、これを消極に解すれば、その必要性が如何に大であろうとも懲戒という二文字を冠することにより、直ちにその対象性を喪失することとなり、場合によつては不合理な結果を招来するおそれも生ずるからである。

なお、成立に争いのない疎乙第一号証によれば、被申請人の就業規則においては、いわゆる普通解雇の意味で解雇という条項(第七六条)が規定されているが、上来説示したところに、就業規則と労働協約との相違、さらには、被申請人代表者本人尋問の結果から看取されるように右代表者自身も解雇の種類等につき明確な認識を有していないことなどの諸事情を考え合わせると、右規定の存在は、「解雇」に関する叙上の解釈に消長を及ぼすものとは認め難い。

以上の次第で、本件協定にいう「解雇」には、懲戒解雇を含めて解するのが相当であると認められ、この点における被申請人の主張もまた、採用できない。

3 その他、本件解雇が「解雇」に含まれないとする主張、立証は見あたらないところ、翻えつて、被申請人の挙示する本件解雇理由についてみるに、それは、申請人両名が支部の幹部として指揮したストライキが違法であるとし、これが懲戒解雇事由に該当するとしてなされたものであること前記のとおりであるから、右ストライキが違法であるか否かは別として、少なくともかような解雇こそ支部にとつては事前協議の必要性が極めて大きい事案であることは明らかであり、これが対象外とされては、本件協定の存在意義自体も疑問視されるところである。

4 右1ないし3に基づけば、本件解雇は本件協定中の「解雇」の中に含まれ、事前協議の対象になるものと解するのが相当である。

(二) そうすると、本件解雇は支部に対し事前協議の機会を与えることなく断行されたもので、労働協約たる本件協定に違反するから、解雇理由の当否についてはこれを判断するまでもなく、無効のものと解すべきであり、したがつて、被申請人の解雇の意思表示にもかかわらず被申請人と申請人らの雇用契約関係はまだ継続しているものというべきである。

三 賃金債権と保全の必要性

申請人両名主張の四項の事実及び被申請人が申請人両名に対し、本件解雇の意思表示以後、従業員として取扱わず、賃金も支払つていないことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、前出疎甲第一五号証、いずれも成立に争いのない疎甲第五、第六号証の各一、二及び申請人鈴木本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第七、第八号証に弁論の全趣旨を併せると、申請人両名は、これまで被申請人から支払を受ける賃金でその生計を維持してきたので、これが支払を受けられなければ回復し難い損害を受けるおそれがあることが一応認められる。

四 よつて、申請人両名の申請はすべて理由があるので、これを認容することとし、申請費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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